顔が変わるということ
手術前まではあまり意識していなかったけど顔が変わるということはそれなりに大きな意味がある様に思う。
23年間見慣れた顔がすこしでも(ミリ単位でも)意図的に変わると、大きな違和感が生まれるし、すこしアイデンティティがゆらぐんじゃないか
自分が自分であることの一つの要因に自分の顔があるから、?
それとも、我思う、故に我あり。というようにそんなものはなんの意味も持たず、ただの飾りに過ぎないのか
わたしの顔を認識するのは、わたしであり、他人である。でもわたしはわたしのことを完全な第三者的な目線で見たことはもちろんない。鏡で見みるのがやっとなのだから。
ということは、本当の意味で認識するのは他者だけであり、他者からの視線によって自分が形成されている
自分という存在をどれだけ考えても、まるで空洞であり、がらんどうであり、空虚なものに感じるのは、自分なんて身の詰まった意味のある存在は一つ(単体)では絶対に存在しえず、他者から認識されてはじめて二本足で立っているのではないか
眠れない夜